road_ar(ロードアラ)メッセージ
《成長したい時》 category
-救いを達成させなさい-
-人々の希望となる-
「神の国は自ずから成長する」(111002ku) 荒井好光
マルコによる福音書 4:26~32
今日のイエス様の譬えの意味は、神の国は自らの力によって成長すると言うことです。
「人が夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」、人は「どうしてそうなるのか、・・知らない。」(4:27)
この「知らない」という言葉を自分に当てはめてみることが出来ます。人が成長するのは分からないことがありますが、自分のことならば分かると思います。私自身について言えば、2008年以来自分を変化させようと言う思いが強くなってきました。それまでは人から「元気ですか」と声をかけられると「何とか元気です」と答えていました。
つまり、常にひかえ目に答え、常にひかえめな行動に終始する、と言うのが私のスタイルでした。しかし、すべてをイエス様に明け渡してからは、これは間違っていたと言うことに気が付きました。これまで荒井好光という人間はこう言う者ですと思っていたほとんどが間違っていると思うようになりました。
ですから今の私の目標は、自分を変化させると言うことです。なぜそうなって来たのか、と問われるならば、新しく生まれ変わったからです、と言う事です。勿論まだ目に見える形で成長には至っていませんが、心の内面的な部分で変化が起こってきています。思いが解放され、その広がりが、必ず目に見える形に現れてきます。
クリスチャンの集まりが成長している、その理由も一つです。クリスチャン一人一人が新しく生まれ変わていると言うことです。
さて、聖書はキリストにあって新しく生まれた者は「神の住まいとなる」とエフェソ2:22に有ります。つまり、神の国とはキリストにあって新しく生まれた者の集まりと言うことが出来ます。また、神の国は「神によって支配」(マタイ6:10)されている所ですが、当然キリストにあって新しく生まれた人々の集まりは「神によって支配」されている所でもある訳です。
「神の国は・・からし種のようなものである。土に蒔けば・・成長してどんな野菜よりも大きくなる」(マルコ4:30-32 )
このイエス様の譬えは、「神の国はどんな地上の国よりも大きくなる」と言う意味です。そしてその神の国は自らの力によって成長すると言う事です。
ここから導き出される私たちの応答は明かです。それは私たち一人一人が神の国になる必要があると言うことです。それによって神の国は成長して行きます。
イエス様は私たちの救いがたい状態からの救いとして、私たちの地上に来てくださいました。私たちはその癒しを受けると共に、そこから成長することが求められています。そうでなければ以前と同じ傷を負うことになるからです。成長とは、新しく生まれることであり、自分を変化させることです。
さて神の国の住人は永遠の命を受けた者とも言えますが、聖書辞典に「永遠の命」の箇所がありますので読んでみたいと思います。私たちが永遠の命に与るならば、私たち自身も神の国になっていると言うことが述べられています。
「永遠の命はキリストにある信仰が現実に働かなければ与えられない(エフェソ2:4 = しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました)。罪からの救いが永遠の命でもあります。
永遠の命はイエス・キリストを信ずる者の再生と同一視され、再生によって受けるものである。= それはまたイエス・キリストを信じる信仰の結果としての、神の賜物である(ローマ6:23 = しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです)。私たちの救いは再生とも言われています。真の命が回復された、と言うことです。
人間の側からは永遠の命を得る可能性はない。= 永遠の命は地上で救済された者に与えられ、終わりのない、完全な祝福、神との交わりを意味する(ヨハネ6:40 = わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである)。終わりのない、完全な祝福、これが神の賜物として与えられます。
永遠の命が与えられる方法は神秘的である。= その方法や過程は見えない。超自然的で、人間の理解を越えている。永遠の命はイエスにある信仰の契機における聖霊のみわざによって与えられる(ヨハネ3:3 = イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない』)。永遠の命は、人の側の求めに対する聖霊の働きということが出来ます。
エフェソ2:10『わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです』。そして4:24『神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません』(エフェソ4:24)。
永遠の命は神の創造、再創造として表現されている。= 神の創造の業に対比され、アダムが神の息によって生ける魂になったように、信者は新しい創造とされる(コリントⅡ5:17)。
キリスト者に与えられる永遠の命は、このように表現されるところの再生した者の身分、行為において証明される。それゆえ、永遠の命の単なる所有を意味するだけでなく、『キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた』(コリⅡ5:17)という永遠の命と一致する新しい性質を持つのである。その結果は霊的死から霊的生への個人の根本的変化である。」
永遠の命は単に天国行きの切符を手にするだけではなく、「霊的死から霊的生への個人の根本的変化」に与(あずか)ると言うことです。如何でしょうか、その様な日々新たにされる経験に与(あずか)っておられるでしょうか。
更に、霊的変化を見える形に現すためには時間と訓練が必要です。一つでも二つでも気付いたことをまず実行してみると言う事が重要です。またその時に、注意しなければならないことは、外に現れる事柄については、その時には必ず迫害に遭うという事です。それを覚悟していなければなりません。私が「髭は神様がくださったものだから剃ることはしません」と言った時にも試練がありました。
また「何とか元気です」と答えていた、ひかえめな態度は二十歳前のクリスチャンになる前からのものでしたが、クリスチャンになってから30年も経ってからやっと、これは霊的に死んでいる人の態度だと気付きました。このように時間がかかると言う事です。
このようにして真に私たちは神の国となり神の国を現さなければなりません。
私たち一人一人が神の国となるならば、今現在の地上においても天国を味わうことが出来ます。私たちは宣教という使命を受けていますから、つい人を増やすこと、集めることに気を取られがちですが、その事は、今日(きよう)の御言葉の通り、「神の国は自らが成長する」ものですから、私たちがまず神の国となり、また新しい人にも神の国となれるようにサポートしていくと言うことが宣教の使命を果たすと言うことになります。
「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する」(マルコ4:27)
自らを神の国として頂くよう求めてまいりましょう。
《今日の聖書》
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
<要約> イエス様の譬えの意味は、神の国は自らの力によって成長すると言うことです。「人が・・夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する。人は、どうしてそうなるのか・・知らない」(4:27)。人には成長の理由は分からない、と言っていますが、少なくとも自分自身については分かると思います。私の場合2008年に更なる献身の時を持って以来自分を変化させようと言う思いが強くなってきました。それまでは人から「元気ですか」と声をかけられると「何とか元気です」と答えていました。つまり、常にひかえ目に答え、ひかえ目な行動に終始する、と言うのが私のスタイルでした。しかし、これは霊的に死んでいる人の態度だったと気付きました。それまで自分の性質と思っていたほとんどが間違っていると思うようになりました。
このような内面の変化は必ず目に見える形に現れて来るでしょう。神の国は自らの力によって成長すると言うことです。「神の国は・・からし種のようなものである。土に蒔けば・・成長してどんな野菜よりも大きくなる」(マルコ4:30-32 )。このイエス様の譬えは、「神の国は自らの力によって成長する」と言う事です。ここから導き出される私たちの応答は明かです。それは私たち一人一人が神の国になるならばその神の国は成長すると言うことです。イエス様は私たちの救いがたい状態からの救いとして、私たちの地上に来てくださいました。私たちはその癒しを受けると共に、そこから成長することが求められています。そうでなければ以前と同じ傷を負うことになるからです。成長とは、新しく生まれることであり、自分を変化させることです。
聖書辞典の「永遠の命」の項で次のように言っています。・・エフェソ4:24に「神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」とあるように、信者は新しい創造とされる。永遠の命とは永遠の命の単なる所有を意味するだけではなく「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(コリⅡ5:17)という。信者は永遠の命と一致する新しい性質を持つのであり、その結果は霊的死から霊的生への個人の根本的変化である。・・私たちはこのような霊的「根本的変化」に与(あずか)っているだろうか。とは言え、霊的変化を見える形に現すためには時間と練習が必要です。一つでも二つでも気付いたことからまず実行してみると言う事が重要です。またその時に、注意しなければならないことは、外に現れる事柄については、その時には必ず迫害に遭うという事です。それを覚悟していなければなりません。その様な自分に死に神に生きる姿勢の中に変化を体験することが出来ます。