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《成長したい時》   category
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-神の国は自ずから成長する-
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「救いを達成させなさい」(111016ku)     荒井好光

 

フィリピの信徒への手紙 2:12~16

2:12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。

 

「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」(2:12)。この所が今日のテーマになりますが、達成と言うことばの意味は「目的の物事を成し遂げること。」と有ります。

救いはイエス・キリストを受け入れ、服従しますと決心した時に既に実現していますが、更に救われた者はキリストに似た者となるためのスタートをしたと言う意味でも有ります。

ですから救いを達成すると言うことは、キリストに似た者になる事を成し遂げなさいと言う意味になります。

これが全てのクリスチャンに求められている事である訳です。

 

しかし、中には「救われて、天国行きの切符を手にしたのだからそれで十分ではないか。」、そのように思っている人が居るのではないでしょうか。

 

しかし、「種を蒔く人」の譬えに次のように説明しています。「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」(マルコ4:20)。イエス様はここでは、救いを受けた人は今よりも少なくても30倍は幸福になれますよと言っている訳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち人間は、初め神と共に歩む者として造られましたから、神様と共なる素晴らしい恵の中に生きていました。しかし、間もなく人は神様から離れ、自分の思いのままに生きるようになってしまいました。

そのために色んな良くない性質と言うものを身に負ってしまっています。本来人は、神の愛によってお互いが励ましを受けるように、高め合うものとして、愛の輪の広がりの中に住んでいました。しかし、神様から離れることによって、互いを傷付け合うような、悪の輪の中に住む者となってしまった分けです。

 

沢山の傷を負ってしまっていますから、少々の良いことに出会っても素直に喜べない事もある訳です。また、受けた傷によって、今度は周りに居る人を傷つけてしまう事もあります。

 

この悪循環をストップさせるためにイエス様は十字架に掛かって死んでくださいました。イエス様は傷を受けてもそれを受け止め、人に伝染させることをしませんでした。

聖書は次のように言っています。

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。(テサⅠ 5:15)

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。(ペトロⅠ 3:9)

ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅(おど)さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。(ペトロⅠ 2:23)

 

私たちは、受けた傷によって悪い性質を身に負ってしまっています。その為に、本来の祝福を受けられないで居るのが今の状態です。これらの傷が癒され、悪い性質が変えられていくならば、私たちの受ける祝福は、今よりも30倍、60倍、100倍となる訳です。

それが元々神様が私たちを創造した姿である訳です。ですから今のままで十分ですと言うならば、神様はどんなにか悲しまれることでしょう。また、イエス様が十字架に掛かって、死んで下さったことが無駄であったと言うことに成りかねません。

「自分の救いを達成するように努めなさい。」(フィリピ2:12)。との御言は、努力して何かを完成させなさい。と言うよりも、自分の身に負ってしまった悪い部分を取り除いて、本来の姿に戻りましょうと言うことである訳です。

ですから決して今のままで良いと言うことには成らないはずです。今現在はまだ良くないものが身に付いたままですから、これがまた、何時(いつ)私たちを悪い方へと引いていくか分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のテキストでありますフィリピ2:12-13をリビングバイブルの訳で読んでみましょう。

心から愛する皆さん。私がそちらにいた時、あなたがたはいつも、わたしの教えに細心の注意をはらって従ってくれました。離れている今はなおさら、注意深く善行に励んでください。救われているのなら、当然そうすべきなのです。深い尊敬の思いをこめて神様に従い、神様をお喜ばせできないことからは手を引きなさい。神様は人の心に働きかけて、従おうとする思いを起こさせ、神様が望まれる行いができるよう、助けてくださるのです。(フィリピ2:12-13)

 

ここでは「注意深く善行に励んでください。」 「神様をお喜ばせできないことからは手を引きなさい。」と薦められています。

 

また、コリントの信徒への手紙Ⅰ 9:24-25では朽ちない冠を得るために節制しなさいと言っています。

24 あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。25 競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。

と有ります。

 

スポーツや、事業などで優れた成果を見せている人達がいます。それらは永続する、神の栄光を現すものではありませんが、しかし、彼らはすばらしい努力をしています。

私たちが成し遂げようとしているものは、それらのものよりも、遙(はる)かに栄光に満ちた働きをしています。それは永続するもので、神様の永遠の計画に属するものです。

「自分の救いを達成するように努めなさい。」(2:12)。これは私たち自身が人々の祝福の基(もとい)となることです。このために全力を注いでいきたいと思います。

「救いを達成させなさい」、「救いを成し遂げなさい」との薦めは、私たちの本来の祝福を手にされるようにとの薦めでもあります。ですから私たちは、御言に親しみ、キリストの十字架に思いを馳(は)せ、この世から解放され、神様の祝福を求めて祈りつつ進んでまいりましょう。

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